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実家レポ〜其の一〜
実家から車に乗って約2時間半といったところでしょうか?大田原市の雲巌寺へ行ってきました。
ここは北条時宗が大檀那になって開創された臨済宗の禅寺です。観光寺院ではなく、専門道場として今でも僧侶が研鑽をつむ寺です。
橋を渡ると荘厳な山門が迎えてくれます。
山門は境内で唯一創建当初のものらしく、かなり古くなっていますし、つくりがやっぱり違います。
鎌倉時代のものは細かいですね。
本堂には阿弥陀如来が安置されていました。大正時代に建物は改修を行ったそうです。
幾度も火災にあったようで、秀吉の小田原征伐の時に、雲巌寺は秀吉に対立し七堂伽藍を焼かれてしまったそうです。
境内の出入りは基本的に自由です。私らが行った時もツーリングの最中?と思われる人たちやじいさんばあさんがちょこちょこ。
場所は専門道場らしくとてつもない山の中にあり、山の中の道をぐるぐるぐるぐる。
境内はとてもさっぱりしていてきれいでしたけど、二時間かけてきた割には、所要時間20分位でした。あれ?予定が違うぞ?
そこから車で戻りまして30分くらいでしょうか?
これがかの有名な那須国造碑を祭っている笠石神社です。
何のことはない神社なのですが、こちらへ拝観に行くと宮司さん?と思しき人が懇切丁寧な栃木弁での解説を行ってくれます。拓本で読み方を教えてくれたり、いろいろな図録を見せてくれるので初心者もそうでない方も結構楽しめます。
で、この石碑、何がすごいって本物がここに置いてあるんですよ!!今や国宝です。江戸時代、この近くの農夫が掘り起こし、水戸光圀が調査して以来、貴重品ということでご神体として祭られておるのです。
他の群馬の多胡碑とか宮城の多賀城碑を合わせて日本三大古碑というそうなんですが、現地においてあって、顔を30センチまで近づけることができるのはここだけ!!拝観料が結構いりますけど、こりゃすげえ!!
いざ、碑を見てみますと、これが意外!!字がくっきりと見えるんですね!!本体は写真撮影禁止なので、覆屋でご勘弁を。結構な高さに中国は六朝体で書かれた漢文がきれいに残っているじゃありませんか!?往々にしてああいうのは摩耗してしまってほとんど読めないもんなんですけど、とても1300年前のものとは思えません。さすが、国宝!!書道の先生方も参考にと見に来られるそうで、それほどくっきり残っています。
覆屋も水戸光圀が整備したそうで、基壇部分は当時のままらしいです。
一緒に行ったSくんもこりゃすげえ!と言っておりました。雲巌寺見に行ったんだけど、こっちのほうがすごかったなあ。
交通アクセスが最悪のところにあるので、見に行くのも大変だと思いますが、機会がありましたらどうぞ見に行ってみてください。
最後に行った古墳がこれ。
またしも水戸光圀が日本で初めて学術的な発掘を行ったという下侍塚古墳です。
私も現地にいって知ったんですが、この古墳、前方後方墳なんですね!!近くに上侍塚古墳もあるんですけど、こちらもそうらしいです(見てない)。
ここいらは侍塚古墳群といいこの他にも前方後円墳、円墳がちらほら。一応整備されているようで、どれも芝生が植えられていました。
那須国造碑といい古墳といい、水戸光圀が調査しているのは、このあたりが水戸領だったからだそうで、偶然とはいえ水戸光圀は伊達に諸国漫遊していたわけじゃあないんですね!!さすが黄門様!!
これに関連する形で近くに「なす風土記の丘資料館」がありましたが、そっちには行ってません。
前々から行きたいなあと思っていたところなので、いけてよかったですね!!特に那須国造碑はよかったです。あの辺には他にも郡衙の跡なんかもあり、下野国那須郡の中心地だったんでしょうかね?
それにしてもあの辺にははじめていきましたけど、思ったよりかは田舎じゃなかったです。もっと田舎かと思ってた。国道も整備されて沿道にはいろんな店ができていていましたからねえ。
でも交通アクセスが・・・高速も走ってないからいよいよ大変だよ。