■
常陸国めぐり二日目。さっきずいぶん書いたのにデータ消えた!!学校でやっていると本当にネット不安定だからマジでこまるわ・・・
ここは平安時代末期以来、常陸平氏の一族真壁氏が本拠としてきたところ。近世初頭に佐竹氏が秋田に転封になる際、真壁氏も秋田に従ったのだが、それまでずっと真壁氏はここに居た。
真壁氏は東国の在地領主として鎌倉時代以来の文書を伝来していて、当地の歴史を知る上で絶好の材料がそろっている。ここは鎌倉時代以来の地名が残っていて往時を想像しやすい。
最初に行ったのは真壁氏の本拠であった真壁城跡。
ここは主郭のまわりの堀。現在主郭には体育館が建っている。ただ城域は広くて、堀やら土塁やらは結構残っている。ここは藪がひどくて降りられなかった。
向こうのこんもりした林までが城域。あれは鹿島神社らしい。思っていたよりも随分広い平城である。やっぱり東国の城は平城になりがちだわな。
これも真壁城の土塁。真壁城跡の文字盤がでかでかと打ち込まれている。わりと整備が進んでいる模様。
ここから南東に約1キロいったところに真壁氏累代の墓があった。
どれもかなり大きめの五輪塔である。小山の天翁院にある小山氏の墓や後述する結城朝光の墓、等持院の足利尊氏の墓と比べても随分大きかった。ただどれも銘文などはなかった。
そこから北に数キロいったところに雨引観音というのがあったので行ってみた。
結構広域から人が来ているようだった。写真は、戦国期の真壁城にあったという黒門。秋田転封の時に城を壊して、この門だけ移築したそうな。
境内にはいろいろな重要文化財もあって結構栄えていた。立派な多宝塔があった。
さらになぜか孔雀が放し飼いに。
ガチョウも放し飼いになっていた。
ここからは延々と真壁町をドライブ。真壁文書に見える地名を巡る旅である。
道中巡っていて気がついたのだが、ここいらはやたらと石材店が多い。真壁は石の産地なのだそうだ。いつごろから産業として成立しているかは不明だけど。
それから思っていたほど水田が多くない。加波山から足尾山、筑波山にいたる筑波連山が町の東側にそびえているのだが、そこから流れてくる水を使っているようだ。結構ため池も目にした。町の中央部に桜川という川が流れているが、これは昔は灌漑用水ではなかったそうな。今はどうか知らんけど。
だからか、ちょっと台地状になっているところだと、大規模な畠や果樹園が目立つ。あるいは荒地か藪か雑木林になっている様子。コンビニはやたとセイコーマートが多かった。スーパーが全然見あたらなかったのだが、どこにあるのだろうか?
ここは大国玉神社。延喜式内社であり、「常陸国惣作田勘文」いわゆる常陸国弘安大田文にも見える由緒ある神社である。周辺は字大国玉と行って、ここも弘安大田文に「大国玉」、「真壁文書」にも大国玉郷として見えるところである。
周辺は水田がほとんどなく広大な畠が広がっていた。
ここは字高久というところ。「真壁文書」には竹来郷、弘安大田文には竹来として名前がある。写真はここにあった高久神社。鷲ノ宮という名前を冠している。鷲宮と聞くと、小山市民としては鷲神社や埼玉の鷲宮にある鷲宮神社を想起せざるを得ない。他でみたことないからねえ。何か関係あるのかしら?ただいつから鎮座しているのか、説明板もなかったため、不明。
境内の狛犬の土台にカブトムシがいたので激写!久々に生カブト見た!!!周辺には雌のカブトの死骸が転がっていたけど・・・
ここ竹来郷には郷内にいくつもの村や名があったのだが、行ってみた感じではよくわからなかった。もっと古くて詳細がわかる地図が必要である。小字とかでも残っているのかな?まあ、現地に行っても圃場整備はされてしまっているし、当時の景観は推し量る以外ないんだけどね。
わりと他の郷内に成立した村々は現在でもカーナビにのるくらいの大きな地名として残っていたのだけど、竹来の場合はそうじゃなかったねえ。
こんな具合で真壁庄を延々と巡っていい加減見飽きたので、そろそろ下野へ向けて移動せねば。
というわけで帰り道だったので、事のついでに結城に立ち寄った。
結城はいうまでもなく、下野国守護を務めた小山氏の一族結城氏の本拠である。小山政光の三男朝光が頼朝から当地を与えられて以来である。
これは結城城。築城は南北朝時代ということらしいが、もっとも脚光を浴びたのは室町中期に起きた結城合戦の時だそうな。写真は北側から土塁と堀跡の水田を撮ったもの。これくらいしか城らしい遺構がぱっと見分からない。本当はもっと大きかったのだろうけど、随分開発が進行していたようす。近世にも城として使われていたらしいのだけど、全然面影無し。
結城城には最近立てられたとおぼしき、「結城合戦タイムカプセル埋設記念之碑」というのがあった。なんだこれ?結城合戦の時にタイムカプセルを埋設したのでもあるまいし。なんか往時を偲ぶ企画でもあったんだろうねえ・・・
いつから建てられていたのか知らんけどね。
これで夕暮れになってきたので、一度自宅へ。
その夜は友人等と徹夜でドライブする予定だったので、とりあえず家に。
それでどこへいったかと思えば、やっぱり茨城!!
小山からはおそらく一番遠い常陸国一宮鹿島神宮へ!!
着いたのがなんと終戦記念日の0:00!
着いたら奴らはびびっておりようとしやがらねえ!
でも着いたんだから行くほかないということで、深夜の鹿島神宮へ。深夜でも開いていてありがたいことであった。
これが鹿島神宮の楼門である。近世初頭の再建で重文。
そしてこれが鹿島神宮の本殿である。海を背にする向きでご鎮座。って全然見えないじゃん・・・まあ暗かったしね。
鹿島神宮は夜でも警備員が常駐していて警護していた。我々の他にも女子二人が深夜の境内のベンチに座ってなにやら話し込んでいる様子。やっぱりいるんだねえ。
おみくじを引いたのだけど、末吉というなんとも微妙な結果に。いっしょに来ていたやつは凶を引いていたのがおもしろかった。わざわざ深夜に鹿島神宮に来て、凶を引くなんて!!ある意味強運だわさ。
その後鹿島港で夜の海を見学。深夜1時だというのに、釣りしている人はたくさんいるし、火力発電所はばりばり動いているし、なんかすごかった。発電所はきらきら輝いていたし、煙突から火を噴いていた。
その後出来たてほやほやの茨城空港に立ち寄って栃木に着いたのが午前四時半。マジで一睡もせず。友人を駅に送って、解散!!
楽しかったけどさすがに26の身体には堪えるぜ・・・しかし深夜の神社っていいね!!やたら迫力がある。
また行きたい!