地元にある鷲城。1380年(康暦元年)に下野国守護、小山義政が鎌倉公方の討伐を受けた際に、立てこもった城である。

その看板。結構丁寧に書かれています。


城の中にある鷲神社。小山氏の祖である小山政光が武蔵国鷲宮から鷲宮神社を勧請して建てたと言われている。

そこにあった看板。あまりにも素敵な看板である。


ここは国指定史跡になっているのだが、行ってみるとそれがよくわかる。大迫力の土塁と堀が迎えてくれる。

↑の真ん中の道のようなところが堀の底。左右の土壁が土塁。高いところではビルの三階とかに相当するくらい残存状態がよい。



城より思川を望む。断崖絶壁になっていて、思川による天然の水堀である。この反対側は今は住宅地になっていて、住宅地側から攻められるともろい城なのかもしれない。


結局ここも鎌倉公方が集結させた関東一円の軍勢によって落城してしまう。しかしあの堀と土塁は本当に大きくて攻めにくいことこの上ない城であったろう。矢が飛んでくるだけでなく丸太や石が落っこちてきたら登れないよ!



中世の平城にしてはかなり大きな城であることは間違いない。祇園城も結構大きいもんね!