久々に日本史の論文を読んだ。なにしろ歴史評論に俺のテーマとかぶる論文がばっちり載ってて、妻にコピーしてきてもらったのです。


とりあえず、最新論文だけでも追っていこうということで。


論文は南北朝期の国人領主制の成立についての内容で、そんなに長くないものでした。

以下、メモ兼感想(論文名とかは一応公開しません。だってレビューってほどのものじゃないし、責任もてないから)


国人領主制は鎌倉期の地頭領主から発展したもので、所領の集中化、単一的領主権の形成、本領・給地・請地の所領構成、流通の要衝の掌握、村落指導者たる土豪を媒介とした村落支配、惣領制が強化された一族結合の形成といった特徴があげられる。


以前の研究では地頭領主制と国人領主制の差異を明らかにし、国人領主の特徴を浮き出していたらしいが、それだと地頭から国人の変化が描けなかったらしく、その過渡期にあたる南北朝期の国人領主制が不鮮明にだったらしい。


そこで、南北朝期の在地領主たる国人の存在形態を探るべく、戦争が恒常化している社会状況とその社会にどのように組み込まれたのかという点を論じた。



戦争が恒常化している状況だと、国人たちは戦って武勲を挙げてさらなる所領を得ようとする。幕府はそれに応えるべく所領を下すわけだが、そこで「要害所」として認定されることで、国人側でも当地の支配を行う根拠を得るわけである。

さらに「要害所」というのが、交通の要衝にあったらしく、国人はそういったところを抑えようとした。そうしてそこから挙がる権益を独占しようとしたらしい。


そうしてはんば強引な支配を行っていくことで、寺社本所一円領・武家領といった土地制度を機能させる要素として、国人たちは成長していったと述べられている。



以上、長くなったが要約(適切かどうか知らんけど)。


以下、感想。


南北朝期の戦争の特徴として、要害所に注目しているけど、これってもっと掘り下げて考えられないかしら?というより、他にも「裁判になったけど、論人が実は敵方で訴人が問答無用で勝訴」とか、著者が述べられているように「下文+施行状」みたいな措置で味方をふやさなければならない状況ということを考慮に入れると、これだって、幕府の意向からすれば、武士勧誘政策の一環なのでは?と思ったり。


ん?でもこれ、あれか。そういうのを利用して国人領主に成長したということか?


とかく、南北朝内乱の戦争の特徴って、これだけなんですかね?守護とかの関係ももっと掘り下げて考えてみるのも面白いのではと思った。


で、まあご本人も書いておられるけども、地域的偏差の問題ですね。関東ではどうかとか、九州ではどうかとか。これはいわずもがなですかw



以上、眠くなってきたので止めます。


久しぶりに論文読めてよかった。心が癒された。通勤電車ってこういう意味ではグッドですね。でも往復4時間もいらない。