なんか最近自分の研究の意味がわからなくなってきた。研究史における位置づけを考えて書くからこそ論文足りえるのに、なんかもうぐにゃぐにゃになってきたぜ。


 研究史上でどのように位置づいて、学説史上にどのような意味があるのか。論文の目的はそこにあると思います。


 しかしなかなか自説を展開することは出来ない。史料をたくさん集めても、そこから確実にわかることと、仮設にしかならないことを弁別しなければ、科学的な論文にはならない。
そうしようとすればするほど、自説として展開しようとするところが無くなっていく。


 先行研究で指摘されていることの確認や繰り返しになってしまう。なんでもっといろんな発想や、論理的な思考が出来ないのか。


 切羽詰まると焦ってよくないですな。じっくり史料と向き合って、のんびり考えよう。そういうゆとりを持とう。何事も史料から始まり史料に終わるのだ。