天晴

 本日めでたく大学のレポートを出すことが出来た。一日で書き上げたわけだから当然糞レポートなのだが。最近の筆者はたるんでいる。殊に三回生になってからの堕落振りは自分自身目に余る。これでは小学生のときの筆者に逆戻りである。早く自分自身を奮い立たせ、就活戦士として覚醒せねばならぬ。周りには早くも覚醒して、就活に取り掛かっている傑物もおるようだし、負けてはおれぬ。

 ゼミレポートは果たしてうまくいったのであろうか。また今後、ゼミの研究はうまくいくのであろうか。いくつかの類似点は指摘しうるが、問題はそうではなく、室町幕府における執事の役割である。これをどういった観点からアプローチしていくかが問題であろう。考えられる観点としては①管領前史として後の執事・管領との権限比較②同時期における尊氏―師直に匹敵する直義―引付との関係を考える③執事施行状は恩賞の一環として発給されている(事実としては恩賞下文を受けてそれを実現させるわけだから、やはり恩賞に積極的に関わっていたと指摘しうる)。このことから恩賞制度上における執事の立場を考える。

 以上の観点を導き出しうる。しかし問題は結論であって、佐藤進一の流れに乗っていては、相対的に直義よりも尊氏側に権力があったという流れに落ち着く。これではあまりに結論が矮小である。そうなると問題を、尊氏と直義の比較という問題ではなく、恩賞制度として考えたほうがいいのかとも考えられる。
 事実、守護挙状は多く師直宛であることからも、恩賞制度を研究する上で有効な方法であると思われる。しかし恩賞自体は尊氏の下文によってなされるわけであるから、まず尊氏の下文の発給過程を明らかにしないとあまり意味がない。その上で執事施行状が必要とされた背景を考えないと、恩賞制度上における「執事」の役割を検討できない。恩賞方頭人として守護挙状、軍忠申請の申状を受け付けている可能性もある。こうなった場合、益々執事の立場はわからなくなる。
 また管領との比較というのはやりがいのある仕事であるとも考えられるが、史料を集めるのが大変だ。何年分の史料を集めないといけないのだろうか。そんなことをしていては、死んでしまうし、参考文献の量も三倍のスピードで三倍の量になっちまう。やってられない。

 ああ、ゼミの研究は困った。しかしもっと勉強すればきっと糸口は見つかるはずである。就活しつつも史料集めに奔走しよう。疲れたのにこんなに書いてしまった。別に人に見られるわけじゃないけど、なんかたまってんだなあと思わされてしまった。また書くことにしよう。