女装と日本人 (講談社現代新書)

女装と日本人 (講談社現代新書)

三橋順子『女装と日本人』


俺にはあまりなじみの薄いテーマだったんだが、この本読み始めるとかなりおもしろかったことに気づいた。


俺自身は歴史学をやっている身だったから余計である。この本は、歴史学的な手法に基づき書かれているから、内容があたまにすっと入ってきやすい。


いくつかおもしろかった点をあげる。


まず目から鱗だったのが、中世寺院社会における稚児の位置づけである。中世の寺院社会では、稚児を相手にした性生活が営まれていた。この稚児さんの多くは、13歳から16・17くらいの男なんだが、彼らは男の格好をするのではなく、女装をしていたという。見目美しい稚児が女装をして、師匠である坊さんとアナルセックスにいそしむ。


これまで俺はこういう関係を、同性愛だと思っていたんだが、三橋氏の分析によると、同性愛ではなく、実は限りなく異性愛に近い類の物だったのではないかということであった。稚児自身、女装しているし、どの稚児でも師匠と懇ろな関係になるわけではなかった。性的関係を持つにあたっては、稚児灌頂という儀式を経る必要があり、その儀式で師匠のおちんちんを受け入れるそうだ。その儀式を経ることによって、稚児は観音菩薩の化身という位置づけを与えられる。観音菩薩は、諸仏のなかでも男性・女性双方の姿を借りて来迎することがあり、多分に双性的な仏なのだそうだ。確かにいろいろなところで観音菩薩をみると、男なのか女なのかよくわからない、わりとふっくらした女性的な柔らかさがある仏像が多いような気がする。
白拍子なんかにも、女装した男性などがあったらしい。歌舞伎の創始者とされる出雲の阿国も女性でありながら男装して


本書では、そうした聖なる物との和合という意味あいがあったのでは?と指摘されている。


他にも、江戸中期には、女装した男娼が侍る陰間茶屋があちこちにあり、特に湯島天神のあたりにはたくさんの陰間茶屋があったそうだ。ここでは、坊主や武士・町人を主たる客としつつも、盛りを過ぎた男娼を買いに、女性も結構きていたという。

江戸時代のファッションを伝える草子の類にも、江戸の小町を差し置いて、歌舞伎の女形がセンターの位置を占めていたりと、江戸の女性ファッションの憧れを、女形が担うという状況でもあったらしい。


このように明治時代までは女装した男性の芸人やその逆の人たちもかなり存在しており、しかもそれを受け入れる文化的土壌が確かに存在していた。


ところが明治以降、西洋キリスト教的世界を背景にした医学が入ってくると、こういう性別越境的な文化は、精神病として処理されるようになっていき、変態性欲としてカテゴライズされることになった。


これが、現在でも一般的な認識の土台となっているようである。


とはいえ、日本という国は女装男性、男装女性に対して、あるいは身体的性別と心的性別の相違する人びとを受け入れる素地がずいぶん残っているなあと改めて痛感した。1970年代から性転換手術とかあったらしいし、宝塚歌劇団の隆盛や90年代以降のニューハーフブームが起こるなど、ずいぶんおおらかだなあと思った。


今まで性同一性障害に関する法制や認識、言説は海外からもたらされてきて、しかも海外ではそういう法制が進んでるから、海外ではあまりそういう差別が少ないと考えていたのだが、どうやらそれは全く逆だったらしい。


キリスト教圏では、はっきり女装・男装・性別越境を禁止していて(聖書にはっきりダメだと書いてある)、現在でも同性愛者だとかオカマさんなんかは道を歩いているだけで殺されたり、襲われたりすることがある。これをHate Crimeという。


日本でももちろん差別はあったし、今でもあるんだろうけど、殺されたりすることってあるんだろうか?


また性同一性障害として認定することは、その障害をいわば「病気」と診断して、医学の力で心と体の相違を「正常化」させる方向を持っているという。どうして性は男女二元論でなければならないのか、どうして第三の性があってはならないのか、著者はこうした問いを最後に発している。


性同一性障害に関するこうした問いも、結構目から鱗だったりして。自分自身にこうした戸惑いが過去になく、親しい人にもこうした人がいなかったから、なかなか考える機会がなかった。


著者自身、こうした問題で悩まされて続けてきており、著者の経験や学識を総動員して書かれているだけに、説得力もあって非常におもしろい本でした。春休みってこういう本よめるからいいよねえ。