最近、義堂周信『空華日用工夫略集』を読んでいた。


公家の日記と違って、坊主や神官が書いた日記は身の回りに起こることを丁寧に記していて面白い。


あの偉そうな足利義満も義堂の前では、先生と生徒のような関係ですな。しかし等持寺のトップになるときとか、南禅寺のトップになるときに、公帖を出すんだけど、これを義満が懐から出して手ずから義堂に渡している描写がすごくリアル。会話もリアルに再現されているし、かなり面白い。


問題なのは、禅語というか使っている漢字が公家と違うので慣れないと難解。何いってんのかわからない。



そのなかでも面白い記事があったので、軽くメモ。記録そのもの意訳。


(1)尊氏の地蔵信仰について

永徳2年(1382)10月1日

饗庭氏直が来て、茶話の次いでに、尊氏将軍の話になった。「(尊氏が)九州に赴く途中の夢に、敵軍に迫られて避けてある山に登った。山頂で路も絶えほとんど墜落しそうになったときに、後ろを振り返って直義の手を引いた。力を尽くして壁をよると、忽ち一比丘僧の地蔵菩薩の形をしたものを見た。手を握り飛び跳ねて大平原に達すると、すぐに家族の高師直・師泰兄弟等が数千の軍勢を率いて来迎する様を見て、すぐに夢が覚めた。後に九州に至って、某州の大平原に築畳した。夢はまさに験があったのだ。これより尊氏自ら地蔵菩薩蔵を描き讃を作った。夢中感通の句があるのはこれである」と。

前に「尊氏ってなんで地蔵菩薩を信仰しているの」と聞かれたことがあってわからなかったのだけど、この記事で疑問が氷解したぜ。


饗庭氏直って、幼名饗庭命鶴丸といって、尊氏の小姓みたいな人だった。この人が語って謂うのだから、信憑性のある話だよね。尊氏って実際に自筆の地蔵菩薩絵を残しているし、等持院でも地蔵菩薩をまつっているから篤い信仰を持っていたことは間違いないんだよね。


あーすっきりした。


(2)義満が飼っていた犬について

永徳2年10月21日
幕府に参った。(中略)義満は愛する狗を二匹飼っている。(幕府内の)道ばたで話していると、忽ち狗が走ってきた。義満は私にその名前を付けて欲しいという。その一匹に名付けて有性といい、もう一匹は無性という。

義満って、邸内で犬飼ってたんだね。これよりも前に犬飼っている事例ってあるのかしら?


姿形は不詳だけど、しかし面白い記事だね。道ばたでとあるから一応室外で飼っていたのだろうね。どんな犬だったのかなあ?


こういう話って殺伐とした中世の雰囲気からかけ離れていて、すごく和むなあ。


しかし付ける名前が仏教っぽくってかわいらしさがないねえ。


有性(うしょう):さとりを開く本性をもっているもの。また開いた状態
無性(むしょう):さとりを開く本性をもっていないもの。またそのような有情。


意味を調べてみたら、よけいに嫌になったなあ。犬にそんな名前付けなくてもいいのに。