今日、久々に先輩とラーメンを食べに行った。本当にひさしぶりだ。今年の3月に連れて行ってもらって以来である。


大阪から電車に乗ってずっと帰ってきて、それから先輩宅にお邪魔し、先輩の旧型ミニクーパーで天下一品の本店に連れて行ってもらった。


道中あれこれの話で盛り上がって、先輩が私を超えるガンダマーであることが判明し、思わずゲームを借りてしまったのだが(いつやるんだ??)、ラーメンを食べている最中重要な話をした。


この日記にはずっと前から書いていることだけれども、要するに仕事に対する姿勢のこと。


これまでもウダウダ悩んできてめぐり巡ってきているものの、どこか心の不安をぬぐいきれないままきていたのだが、やはり肝腎なのは自己を肯定することなのだろうという結論の中に自分で至ったし、先輩もそういうことが言いたかったのだと思う。


日本史への情念が捨てられず中途半端になっていて、それゆえに仕事に対する熱も下がり気味だったのだけれども、今は今で仕方ない、将来そういう方向に進むことや今それを念頭に置いていることを可笑しいと思ってはいけないと先輩は仰ってくれた。


先輩やもう一人お世話になった方も同じだそうだ。会社というのは色々な人がいて、今の上司のように当社に殉じようと思っている人ともいれば、踏み台にしか考えていない人もいる。そういうものなのだと。


だから今の私みたいな考え方を持っている人がいたっていいじゃないかと。むしろやりたいことが明確にあって、それに関してあれこれ悩んでいることが贅沢な悩みなのだと。



そうかもしれない。やりたいこともなく中途半端になっているよりは、ずっといいのだろう。


あとは、自分自身が如何にして気持ちの折り合いをつけていくか。将来のために、今をどのように生きるか、これが問題なのだ。



前々から感づいてはいたのだけれども、こういう考えで今の会社にいることに酷く不純な気持ちがしていて、なかなか割り切って考えられなかったし、最初から「やめてやる」と思えるほどの度胸はない。


でもまあ桃栗三年柿八年というし、石の上にも三年というから、やっぱり考えることは考えつつ、目の前にある仕事をしっかりとやっていくことが、今の俺にとって肝要なのだと思えるようになりつつある。


今日は、そういう意味でもやっぱりそういうふうに考えていても許されるんだなと思い、またそのために今を生きなければならないとも考えたのでした。




今すぐに変化はできないけど、徐々に自分を肯定できるように、自分に自信が持てるように、って結局自身の問題になってくるんかい!と思いつつも、とかく自分を否定してはいけないことに気が付いた一日でした。



今日はご馳走様でした、先輩。そしてありがとうございました。