続構造主義について


 昨日世帯主に、こんなことをいわれました。

  1. 構造主義について書いているが、本質的な部分について書いてない
  2. 構造主義はその後どうなったのか、わからない

 それではちょっと続けてみましょう。それにしても昨日の日記は長かったですね。疲れた。

 まだわかりません。無理です。答えられません。許してください。


 ただ内田樹さんの意見を引用すると

私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんど場合、自分の属する社会集団が受け入れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」

内田樹『寝ながら学べる構造主義』文春新書P25より引用

となります。これはやはり言いえて妙ですな。こんな風に言えば、長くならなくて済むのに。


 こっちは一応答えられます。構造主義は日本では60・70年代くらいに流行ったそうです。2005年現在では、構造主義は古いといわれ、ほとんど流行っていません。


 ただ現代思想の大本となったのは構造主義だそうです。その後ポスト構造主義(ポストはこの後という意味)やらなにやらが出てきて、よくわかりません。なに派やら、かに論など。


 なんで流行らなくなったかというと、構造主義はもちろん対象の構造を研究するわけですから、ある一部分を取り出して、その構造を云々いうわけです。で、そうなるとなんでその構造になったのかという部分がなおざりになってしまう。


 多分こういうわけなんでしょうね。静の部分のみを見る結果となった、それではどうして何でという動の部分が分析できないらしい(この辺はよくわからん)。
 で構造主義はダメだという話になった。



 ちまたではポストモダンとかいろいろありますが、構造主義を乗り越えて?いった思想の現われなんでしょうね。



 まだまだ勉強したりないので、これから精進します。卒論やれよゲボ。