唐突ですが、構造主義について忘備のために書いておきたいと思います。60年代から70年代に掛けて日本では猛威を振るった思想です。

 どうも構造主義という考え方によって、歴史学が批判されているらしい。「歴史は終わった」「歴史は意味が無い」とかそういった批判がある。これは歴史に携るものとしては一大事。じゃあ構造主義ってなんなんだろう?

はじめての構造主義 (講談社現代新書)

はじめての構造主義 (講談社現代新書)

寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))

寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))


 私はとりあえず上の本から読む。下の本は最近読んだもの。

 上の本は、構造主義を知るなら、クロード・レヴィ=ストロースの業績を知れば、半分くらいは知ったことになるでしょうということで、レヴィ=ストロースの親族論、神話論とその成立について書いてます。


 下の本は文字通り、寝ながら学べる感じの優しい内容です。構造主義にとって重要な要素を丁寧かつ簡潔に説明しています。ソシュールフーコー、バルト、レヴィ=ストロースラカンを取り上げてそれぞれの視点から構造主義について述べています。
 

歴史学ってなんだ? (PHP新書)

歴史学ってなんだ? (PHP新書)

 歴史関係ではこれ。歴史学の入門書であると同時に、構造主義歴史学の関係についても簡潔にまとめてくれています。歴史学構造主義との関係はこれによるところ大(ということは対して勉強してない)。

 

  1. クロード・レヴィ=ストロース(人類学)
  2. ミシェル・フーコー(哲学・歴史学
  3. ロラン・バルト記号論
  4. ジャンク・ラカン精神分析
  5. ルイ・アルチュセール(?よくわからん)

 あたりだそうです。もっともこの人たちも構造主義とくくっていいかは非常に問題があるそうです。

 それではちょっと整理しましょうか。頭の中を。


 どうも構造主義というのは、いろいろな領域をまたいで形成された思想らしい。しかもマルクス主義とか政治的にバイアスのかかったものでもないらしい。


 で、今のところの私の認識を申しますと、科学的真理というものは存在しないということを宣告した考えたということ。つまり一つのモノはいろいろな角度から観察できる、観察する主体者によって、モノの見え方が異なるということ。


 真理というのは、その時代、社会などによって変わってくるということ。つまり真理はその時代によっての制度ということになる。


 主体者(自分)によって、モノの見え方が変わるというのは、それだけ主体者の価値が下がってしまうということになる。自分では正しいと思ってみているつもりでも、実はそうじゃない、色々な見方があったりする。


 つまり主体者たる個人は、その時代の社会や風俗によって、言葉から考え方までを規定されていると考える考え方らしい。


 しかも橋爪氏がいうには、「構造」というのも非常にわかりにくい。なにしろ目に見えない。研究対象や、分析の対象を表層だけ捉えるのではなく、その構造に注目して考えるらしい。っていうと意味不明だよ。もう少し整理しよう。



 そもそも構造主義の出発はスイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールの言語の分析を始祖とする。


 ソシュールは言語というのは、人間の恣意性によって構成されていると言った。例えば「水」。日本語では冷水は「水」、温水は「湯」という。英語では「水」「湯」ともに「water」である。もともと存在するH2Oでも言語によって呼称が違うわけだ。


 思考だって、すべてこういった恣意的な成り立ちの言語で考えているんです。なにか心中で呟くときは私は日本語で話します。国語で考え、その言葉の規制に縛られている。自分で考えているつもりでも、国語の虜になってるわけです。


 こういうふうに人間は考えてるつもりでも、実は縛られているという考え方の発展型(音韻論という。長くなるから省略)を継承して、人類学の研究方法に生かしたのがレヴィ=ストロースです。

 彼は人類学者でした。なんで人類学者が構造主義の旗揚げの人なのと思ったものですが、人類学を学んだからこそ、構造主義が出てきたといえます。


 彼は人類学者として、各地に住む「未開」民族を調査しに行きました。そこで彼は、様々なことを学び著書として著します。


 重要なことは各地の原住民を調査して親族の基本的な構造を突き止めたことと、各部族が持っている神話を構造的に分析したことです。なんのことでしょうね。


 親族の目的は?近親相姦を禁止するためだそうです。親族って民族によって範囲が違うらしいんですが、どこでも近親相姦の禁止はあるそうです。生物的には姉だって妹だってその辺の女性だって変わりません。でも近親相姦はどこでもタブーです*1


 タブーだからこそ、女性を集団間において交換するシステムがあるのだそうです。


 結論からいうと、女性を集団の間でやりとりするということは、交換と見なしていいそうだ。*2他にも、部族間で貝のアクセサリーを交換したりする。よそ者からすれば何の価値もないのですが、彼らには価値がある。


 それは交換されるから価値があるらしい。交換されることで価値が発生する。どの部族も交換をするらしい。だから人間は交換する生き物だ。交換経済から貨幣経済に発展したと考えられているが、そうでもない。だって彼らは貨幣なんて使ってない、交換すること自体に価値があるのだから。


 また神話(学)について。神話を持たない民族はいないそうだ。日本人だって記紀神話をもっている。そういう神話は似たようで、似ていない部分もあって、従来の神話学では分類できても意味とかまで深入りできなかったらしい。


 でレヴィ=ストロースはこういう方法を採った。

 神話って似てるよね。じゃあ多少異なってても一緒くたにしちゃって、考えようや。大同小異。神話だって何百年も語り継がれてきてるんだから、目の前で話してる人の気持ち考えたって仕方ないじゃん。


 じゃあ、神話を形作っている要素を抽出して、神話Aと神話Bのどこが異なっているか見ていくうちに全体の構造が明らかになるんじゃない?


 神話をひとつの完成した物語としてみるのではなく、神話の集合から要素を取り出して整理しなおすことで、返ってその構造が見える。たぶんこういうことだと思う。



 これって他の思想にだって一大事だよ。『共産党宣言』『聖書』だってこうやって要素ごとにバラバラにしちゃえば、読みたいように読めるではないかということにつながるのだ。これは俺でも意味が分かった。マルクス主義にしてみれば、共産党が一手にテキストの解釈権を握ってるわけだから困る。


 こういう考え方らしい。橋爪氏はこういう考え方のもとになったのは数学だと述べていました。レヴィ=ストロースはそういう概念を拝借して使ってたらしい。



 そうなるといろいろなことがわかる。人間は贈与したり交換したりする生き物(なんで交換するのかはよくわからないらしい)。ともかく交換を必要として、常に変化を続けている。

 「未開」人だからと言って、原理原則に則った生活をしてるわけだ。ヨーロッパ的な知識なんて、彼らの前では意味をなさない。むしろ教えてもらったことのほうが多いくらいだ。

 
 それに神話を理解するのに、主体なんていらないってことになる。主体は埋没するのだ。

  • 「歴史」との関わり①

 で、ようやく歴史に来るわけです。別に人間は考えて交換したりしてるわけじゃないんです。むしろ発展したほうが特殊なんじゃないか、どうもレヴィ=ストロースはこう考えたらしい*3新石器時代と変わらない生活をしてる人だっているわけだ。


 そんな人たちには「歴史」なんてないじゃないか。


 こういうことになるらしい。私はここで神話って民族にとっては歴史じゃないの?と思ったんですが、よくよく考えてみると多分違います。


 「歴史」はマルクス主義とか実存主義でいうところの「歴史」です。私がわかりやすいのでマルクスで説明すると「歴史」は一本筋の通った真理が先に存在していて、それの真実に向かって積み重ねていく「歴史」という意味だと思います*4



 レヴィ=ストロースが生きていたときはまだマルクス主義が健在でやがて世界はそういう風に動くと、フランス思想界では思われていたようです。


 これに真っ向から対立して叩き潰したのがレヴィ=ストロースであり、構造主義だったそうです。だって、「歴史」のない民族がこの世にはいて、彼らは彼らの価値観で生きてるんですから。発展するべき「歴史」がないんです。

  • 歴史との関わり②

 となると歴史学はずっとマルクス主義史観でもってやってきましたから、土台が揺らいだわけです。


 神話の構造が成功したもんだから、他のものも構造的に読もうってことになります。


 歴史学では先人たちが残してきた文章(古文書、古記録、典籍など)が分析対象になりますから、一大事じゃないですか。もっといえばソシュールが発見した言葉はモノ自体をさしているわけじゃないというのは、文字を対象とする歴史学からすれば、困ったことになるわけです。


 それにマルクス主義は滅んじゃったから、今の歴史学会は混迷を極めているということになります。ただ歴史学でも指をくわえてみてるだけじゃなくて、なんとかしようとしてるみたいですけどね。

 かくいう私も従来の方法に則って卒論書こうとしてるんだから、のうのうとやってる場合じゃないんですがね。




 ここで最初に戻ります。真理がないんだから、科学が成り立たない。真理という考え方は、所詮一時代、一社会によって生み出された「制度」にしかすぎないということになる。今考えて、しゃべって、生きていること、それ自体が社会の構造によって規定されていることになる。


  • しかしこうして考えてみると…

 やっぱ当たり前のような気がします。あっちではこういってる。こっちではこういってる。っていう情報の錯乱。今じゃ当たり前です。あなたにはあなたの価値観があって、私には私の価値観があるっていうの。


 人間は自分の力で未来を切り開くんだ!!なんていう話をよく耳にしますが、そういうことを言語で考えている、またそういう言説を取り込んでいる、そういう社会の構造にはまっているって考えると夢も希望も無いような気がしますが…


 ほんでも、橋爪氏がいうにはもっと人類全体に視野を広げると、結局西洋近代文明も、未開人も同列なわけなんだから、一緒に生きているじゃないかということになる。それはそうだよね。西洋近代の「歴史」が「未開」と「発展」を生んできたわけだから。


 もっと分かり合えるようになるかもしれませんね。なんて思いにふけってみたりして。



 哲学とか現代思想って意味ないとか言われてますが、それなりに考える材料にはなるんじゃないでしょうか。だって現代人の思考を考えてるわけですから。人間って不思議な生き物です。不思議な生き物を研究する学問って面白いじゃないですか。


 

 もしも間違いがあったら、ドシドシ指摘してください。私自身の精進のためにお願いします。

*1:遺伝的に悪いからというのは説明にならない。民族によってはいとこと結婚する例もあるし、いとことしか結婚しない例もある。逆にいとことは結婚しない例もあるわけだ。「未開」人だから、それを知らないという理由でいとこ同士の結婚を説明するのは意味が無い

*2:なぜ女性かというと、人類学では男性を中心に考えるらしいのです。詳しくは知らんけど

*3:彼は西洋近代文明の独善的な優越感に嫌気がさしていたらしい。

*4:マルクス主義歴史学では、端的に言えば世界は原始→奴隷制封建制→資本主義→社会主義へと発展すると考える。それの道筋をたどるための歴史を描く必要がある