豊饒の海 第三巻 暁の寺 (あかつきのてら) (新潮文庫)

豊饒の海 第三巻 暁の寺 (あかつきのてら) (新潮文庫)


 そういえば、三島由紀夫暁の寺豊饒の海 第三部‐』を読みおわんぬ。飯沼勲から転生したタイの姫ジン・ジャンと清顕・勲の一生を見てきた本多との偏差な愛(恋?)と本多の心中を描き出した作品なのかなあと思います。といってもなんかよくわかんないのが読後の感想ですね。


 
 ジンジャンは清顕の生まれ変わりで本多の尊崇の対象、であり本多にとってなにか心に引っかかる存在だったのでしょう。その感情を愛とか恋と読むことも出来るのでしょうが、もっと偏った偏執的な感情のような気がします。


 本の裏に有るには、神秘思想とエロティシズムとあるけど、なんかそんな感じですね。作品世界も気だるいタイとインドの様相が返って本多の心理描写と相まって神秘的な感じになり、タイという仏教の国であることが、豊饒の海のテーマである輪廻転生をより高みの有る論理としてなしていくような話でした。
 

 それが返ってこの作品をわかりにくくさせているような気がします。清顕の転生であるジンジャン、それに固執する本多、それも覗きなど正攻法でない方法で意を注ぐ本多の心。うーん、この本多の心持をどう解釈したらいいのかよくわかんないです。



 春の雪、奔馬とも本多は客観的な立場から清顕と勲を追いかけていくのだけど、ここに来て本多が主人公的な位置になって彼の視点を中心に物語が進行していきます。


 清顕と勲の世の中への働きかけとか本多自身のこれまでやってきたことって、なんだろ?みたいな独白が有るんだけど、正直よくわかんないです。


 
 ただ四部の中で「転」にあたる部分なので豊饒の海という作品全体の理解のためには重要な示唆を与えてくれているような気がするのですが、よくわからない、わかりにくい独特の雰囲気を持った作品であることは間違いないです。



 どうでもいいことだけど、上の表紙は古いものですね。まだ文字が小さいバージョンのもの。


 三日ぶりに世帯主と顔をあわせました。なんか嬉しそうだし、こういう三島の作品を巡っていろいろ話したり出来るのは世帯主だけだし、一緒にいてほっこり出来たのはほんとによかったです。