零崎人識の人間関係 戯言遣いとの関係 (講談社ノベルス)

零崎人識の人間関係 戯言遣いとの関係 (講談社ノベルス)

零崎人識の人間関係 戯言使いとの関係』


これは零崎シリーズを締めくくる上でも、戯言シリーズと決別する上でも、とても有意義な小説であった。


つまり、面白かったということ。



他の三つとはちょっと色合いが違うというか、懐かしい面々にどろどろになるまで煮詰めた墨汁のような色合いの小説ですな。裏表紙のいーたんの目!!


西尾維新の煮詰めた墨汁のような部分を出しているというか、こういう黒さがいーたんだ!と改めて思ったものです。


帯に「変わりたいと思う気持ちは、自殺だよね」と書いてあって、本編にあの文脈で出てきたときには、「さすがいーたん!俺たちに言えないことを平然と言ってのける!そこにシビれる!あこがれるゥ!」とひとり唸ってしまった。


「普通ってなんだと思う?」

「知らねーさ。不都合の略かなんかじゃねーの?どいつもこいつもそんなもん求めて、右往左往してるばっかしだしよ。よっぽど困ってるんだろ」




「きみはどうなんだい?」

「俺は不通だよ。思い通りになることも、期待通りになることも、何もねえ」

「それは通らないだろ。いくらなんでも」



この辺の下りなんか、最高にシビれたね!!どっじゃァァァァン!!


清水寺の舞台が壊れた経緯もよく分かったし、これにてめでたく完結ですね。