職業としての政治 (岩波文庫)

職業としての政治 (岩波文庫)

マックス・ヴェーバー『職業としての政治』

こっちも読み終わった。こっちの方が割とスラスラ読めたかな?頭にも入ってきやすかった。


この本で言いたいことは表紙とか解説とかに書いてあるので改めて述べる必要はないのだろうけど、気になったところだけ。


「国家とは或る一定の領域の内部で――この「領域」という点が特徴なのだが――正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である、と。・・・・・・つまり国家が暴力行使への「権利」の唯一の源泉とみなされているということ、これは確かに現代に特有な現象である。  P9

(イタリック太字は原文で傍点がふられている。赤字は筆者が重視した箇所。)


だから政治とは、「権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力」であると定義している。この点、最近日本史業界ではホットな話題である。ただヴェーバーの定義の中で重要だと思ったのは、人びとが「要求する」ということが含まれている点である。これは近代国家に特有の問題かもしれない。それ以前にはそもそもそんな発想無いし。




「国家も・・・・・・人間の人間に対する支配関係である。」


支配の内的な正当化の原則は三つ、即ち「伝統的支配」「カリスマ的支配」「合法的支配」


支配機構の継続的な行政を行うための条件。1,支配者に対して、被治者は服従するよう方向付けられていること。2,支配者は物理的暴力を行使でき、これに必要な物財が支配者に掌握されていること。要するに人的な行政スタッフと物的な行政手段の二つを掌握していること。


「方向付けられている」というのも、巧妙な言い回しな気がする。



政治と倫理の問題について。これは私自身は非常に興味深かった。読んでいて心中なんども首肯した。


倫理的に方向付けられたすべての行為は、根本的に対立する準則に立つ。
1,心情的倫理…「キリスト者は正しきをおこない、結果を神に委ねる」。頑張れば、結果なんてどうでもいいんだ!頑張った結果が受け入れられなかった場合、悪いのは皆の方だ!!→つまり朝日新聞のことだね!!
2,責任的倫理…人は(予見しうる)結果の責任を負うべきだとする考え方。人間の平均的欠陥など彼是計算する。


ここまで来るともはや前近代の話に直接影響することはないのかもしれないけど、これっておもしろい考え方だね。

結局

人間団体に正当な暴力行使という特殊な手段が握られているという事実、これが政治に関するすべての倫理問題をまさに特殊なものたらしめた条件なのである。   P97

ってことがいいたかったのかなあ?


第一次世界大戦で祖国ドイツが負けたのが、ショックだったらしいけど、それを感じさせる本でした。



こういう本ってなかなか頭に入ってこないんだけど、訳が上手なのか俺が成長したのかわからんが、かなり理解が進んだ気がする。


権力の問題を論ずるときに、いろいろ引用されているみたいだけど、この本って「職業としての政治」という本だし、本の指向性をもっとよく噛み締めてから使わないと足下掬われる気がしました。