分裂する王権と社会 (日本の中世)

分裂する王権と社会 (日本の中世)

村井章介『分裂する王権と社会』2003中央公論新社

これまで読んでなかったんだけど、ちょっと通史を読んで歴史の推移を頭に入れておこうと思って、近頃読んでいるんだけど、やっぱり書き手によって通史といっても書き方が大きく異なる。


この本の中で面白いと思ったのは、村井氏独特の外交と国内の関係、それから文化に対する叙述。


特に外交と国内の関係については、懐良親王今川了俊の九州争奪戦を南北朝の争いに引付けるのではなく、さらにそれを超えた明・朝鮮との外交関係も絡んだ戦いであったと規定したことは、非常に壮大なテーマであると思う。今までの南北朝九州史にはなかった視点なのでは?


懐良親王が明との冊封関係を結ぼうとした時期というのは、今川了俊の九州攻略の第一歩にあった時期で、すでに今川了俊の弟達が九州に上陸して太宰府を包囲する作戦を展開していた。こうした時期にたまたま明の使いがやってきて、いろいろとあった末に冊封体制下に入ることになったのだが、それは村井氏がいうように、明の権威・権力を背景に北朝方との戦いを進めたかったからなのかもしれない。もっとも明は倭寇鎮圧が目的であったようだし、村井氏自身述べているように現実的に明は建国したばかりで日本に派兵する余裕はなかったはずであるが。


冊封に入ることも含めて、この時期の懐良親王を筆頭とする征西府は南朝からも自立する傾向にあり、吉野の思惑とは別の方向に動き出していたのだが、懐良親王の思惑が明をも含んだ形で形成されていたとするなら、非常に面白い内容だと感じた。


こうなると義満の対明通交も意味が変わってくる。義満の対立者が明の権威を借りて敵対する可能性が出てくる。「国際社会のなかで「王権」をめぐる争い」と評している。非常にスケールの大きい話である。


最近、本当に通史がよく出ていて、講談社から出ていたシリーズも学術文庫で復刊しているし、小学館からも出ていたし、吉川弘文館からも中世の分の通史は刊行されている。


河音能平氏が著書の中で、ヨーロッパの研究者が異口同音に唱えたこととして、日本の日本史研究者は著者の考えを纏めた「著書」と呼ばれるものが少ないと述べていたことが印象的だった。故に訳出することが非常に困難であるとも(註など細かい部分はかなり大変らしい)


どういうことかというと、日本の日本史研究者の出す著書は基本的には過去の論文を取りまとめた「論文集」という体裁であって、研究者が一から新しく書き下ろした「著書」ではないということだ。


確かに欧州の西洋史研究者の本は、その意味では「著書」であると思う。ル=ゴフ『中世の身体』とかマルク・ブロック『封建社会』を見ていると、日本の日本史研究者の著書とは全然色が違うと感じていた疑問が解けた。


かといって日本の日本史研究者に「著書」が無いか、というとそうではなく河音氏自身、佐藤進一『南北朝の動乱』は優れた「著書」であると述べている。


それって一応日本では通史の類になるのだけど、やっぱり一般向けと認識されるわけで、個別の研究論文ではさほど引用されていない気がする。


ところがこのところの通史ブームを見て、何冊かを読み比べてみるとやはり著者によって相当興味関心の差があることに改めて気づかされて、読み比べてみることで自分の研究テーマが現在の学会でどの程度の位置を占めているのか、ある程度理解できると思った。


新田一郎太平記の時代』と本書は同じ東大の先生が書いた本だけど、中身はかなり違いがあるもんなあ。目次からして違うし。


安田次郎氏が小学館から出した本も、「最前線としての大和」という視点はすごく面白い、俺も研究したいと思うくらいの視点だったし、結構「著書」ってその時点での著者の考えがダイレクトに出てくるから、今後も読み比べてみることにしよう。そうすると自分の研究の位置もわかってくるかもしれない。