世界屠畜紀行

世界屠畜紀行

内澤旬子『世界屠畜紀行』

これくらい軽い読み物だと気楽に読めるからいいね。屠畜の本もさ。


世界と名乗っているだけあって、いろいろな国の屠畜を紹介していて大変面白い本であった。


著者は意図して屠殺ではなく屠畜という言葉を使っている。確かに殺して終りじゃなくて、殺してからが大切な作業だからね。



日本だけじゃなく、沖縄、韓国、印度、バリ島、チェコ、エジプト、トルコ、インド、アメリカと本当にいろんな国の食肉事情と屠畜事情を教えてくれていて、非常に面白かった。


韓国では犬も食べるし、エジプトではイスラムの犠牲祭の時に各家庭で羊をつぶすし、インドでは日本に類似する食肉業者に対する差別が存在する。歩い程度裕福なエジプト人は自宅の4階や屋上で羊を飼育していて、犠牲祭の時に自宅で自分でつぶして、近所に分け与えるのだそうだ。自分で家畜をつぶせるのだから、それはすごいことだ。本書を読んで思うけど、生き物を殺して肉にするというのは技術が求められる。


でも程度の差はあれ、家畜を捌いて肉にする方法はどこも同じようなやり方を取っているのである。焼き肉屋やスーパーでパックされているお肉がどのように作られているのか大変勉強になった。


特に牛の内臓を作るのはとても大変そうだ。焼き肉屋で食べるセンマイ(第3胃)は中にすごいヒダヒダがついていて、それをなんども洗ったり、腸の周りにはたくさんの脂が付いているので、それをなんどもなんどもそぎ落とす。

BSE検査も、日本では非常に手間暇かけて行われている。詳細は省くけど、牛の頭蓋にある延髄を取り出して化学的な手法を用いて、一頭一頭検査しているのだ。まるまる一日作業である。それだけでなく病理検査をやったり、手間暇かけて行われている。日本で屠畜される牛は非常に安全である(豚とかほかのも)。


沖縄では山羊を食べる。全然知らなかった。山羊肉専門店もある。そんで本土みたいな差別はない。それがまた面白かった。今度沖縄行ったら、是非とも山羊を食べよう。韓国では犬を食べよう。



今でこそ機械化されているけど、機械化される前はすべて手作業でやっていたかと思うと頭が下がる思いがする。今でも牛を捌くときに、下手したら牛にとどめを刺しきっていなくて暴れ出して、こちらがお陀仏ということもあるらしい。今ですら手作業でやる部分も多いし職人技である。血や内臓、糞尿も出るから臭いももっときつかったのではなかろうか。


こういう仕事があるから、おいしいお肉が食べられるのだ。





インドでの話が載っているのだが、食肉業者や屠畜に対するインド人の目線や考え方は日本人のそれに近い。カースト制度ヒンドゥー教が強い影響を与えているらしい。それだけでなく教育(教養)の問題も絡むし、イスラム教とヒンドゥー教の対立も絡むし、いろいろ複雑な問題を呈しているらしい。


著者によると、食肉業者に対する差別観というのは、「過去に屠畜を仕事する人間を最下層とする身分制度があった国」にだけ見られるのだそうだ。他の国には恐怖感はあるし、チェコではむしろ尊敬される対象だったらしい。これを読んですぐ大山喬平先生の『ゆるやかなカースト社会 日本中世』を思い出した。日本がゆるやかなカースト社会っていうけど、なるほどと思った。



この本を読んでいて屠畜の方法やそれに対する観点について非常に勉強になったのだが、もう一つ面白かったのは動物愛護運動に対する懐疑的な見方である。要するに「おめえら肉食ってる(あるいは食べてきた)じゃねえか!!だったら食うな!!」と「どの肉をどうやって食べようが、文化的差異」だろうが!!ってこと。


確かにそうだようなー。韓国ではソウルオリンピックの直前に、西洋諸国から犬食が野蛮だと非難され、随分犬食文化は迷惑を被ったとか。日本だって鯨を食べる文化があったのに、西洋諸国からの文句で捕鯨を止めてしまったり。


後者は絶滅危惧動物の保護という名目があるにせよ、本著には西洋的価値観の押しつけだろうが!!という暗喩がそこかしこにちりばめられている。まあそうなんだよね。哺乳類と鳥類は保護の対象になるけど、植物は対象にならないんだよね。植物は血も涙も流さないからね。動物を愛護するのはいいことだと思うけど、おしつけるのはやめてほしいと思います。



なんかこの感想、とりとめのないものになってる。



最後に二つ。著者は自分の家で鳥をつぶして皮をはいで食べられるようにしたことはすごいと思った。取材まではやっていても、なかなか自分ではつぶさないよね。著者は自分で鳥をつぶしてみて、精神の動揺を書き記している。見ていたときには感じなかったけど、自分でやってみるときちんと皮もはげないし、皮をはごうと思って皮を引っ張ると時々見える目がぎょろぎょろして怖い気分になったそうだ。それを知り合いの料理人に調理してもらっておいしく食べたのだとか。


それから、屠畜に対して差別感情のない国でも、家畜が死ぬ瞬間には恐怖心を覚える人がいるということ。生き物の死に対する恐怖感というか胸のあたりがずしりとする感覚というのか、とかくそういう感覚は人種に関係ないようである。著者が取材したエジプトの家族では、犠牲祭の時に2歳児を屠畜の場面に立ち会わせていた。やっぱり泣きじゃくるらしいのだけど、こうして目の前で羊がマトンに変わっていく場面を見ることが大事なのだと、家族の大人は考えているそうである。きっとそうなのだ。


つれづれに書いてしまったけど、要するに「感謝して食べ物食べよう」ってこと。著者は、食の安全や「トレーサビリティ」といった問題が取り上げられることが多いけど、それこそ「肉」が「肉」になる過程をきちんと知っておくことが重要なのではないか、という重要な提起をしています。これには全く同意です。そのほうが差別もなくなると思う。



この本にひとつ注文をつけるとしたら、屠場の臭いについてもう少し詳細な記述があると創造しやすかったと思う。著者はあまり臭いについては気にならないタチらしく、「臭いはあまり気にならない」という記述ですませることが多かった。気にならなくても、臭いについてもっと詳細に説明してくれると創造しやすかったなあ。