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- 作者: キェルケゴール,斎藤信治
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1957/01/01
- メディア: 文庫
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みんなこのフレーズ好きだよね。
最初に訳を出版したのはこの岩波文庫を書かれた斎藤信治さんだと思うのだけど、絶妙だよね。フレーズだけが一人歩きしてる。
ともあれ、目次を写しましょう。
- 序
- 緒論
- 第一編 死に至る病とは絶望のことである
1 絶望が死に至る病であるということ。
A、絶望は精神におけるすなわち自己における病であり、そこでそこに三様の場合が考えられうる。――絶望して、自己をもっていることを意識していな い場合(非本来的な絶望)。絶望して、自己自身であろうと欲しない場合。絶望して、自己自身であろうと欲する場合。
B、絶望の可能性と現実性。
C、絶望は「死に至る病」である。
2 この病(絶望)の普遍性。
3 この病(絶望)の諸形態。
A、絶望が意識されているかいないかという点を問題とせずに考察せられた場合の絶望。したがってここでは綜合の諸景気のみが問題となる。
a、有限性と無限性との規定のもとに見られたる絶望。
α、無限性の絶望は有限性の欠乏に存する。
β、有限性の絶望は無限性の欠乏に存する。
b、可能性と必然性との規定に見られたる絶望。
α、可能性の絶望は必然性の欠乏に存する。
β、必然性の絶望は可能性の欠乏に存する。
B、意識という規定のもとに見られたる絶望。
a、自分が絶望の状態にあることを知らないでいる絶望。換言すれば自分が自己というものを、しかも永遠的な自己というものを、もっているというこ とに関する絶望的な無知。
b、自分が絶望の状態にあることを知っている絶望。それでここではひとは自分が自己(したがってまた或る永遠的なるもの)をもっていることを意識 している、そして絶望して自己自身であろうと欲しないか絶望して自己自身であろうと欲するかのいずれかである。
α、絶望して自己自身であろうと欲しない場合、―弱さの絶望。
1、地上的なるものないし地上的なる或る物にかんする絶望。
2、永遠的なるものについての絶望ないし自己自身に関する絶望。
β、絶望して自己自身であろうと欲する絶望、―強情。
- 第二編 絶望は罪である。
A、絶望は罪である。
第一章 自己意識の諸段階(「神の前に」という規定のもとにおける)。
附論 罪の定義が躓きの可能性を含んでいるということ。躓きに関する一般的考察。
第二章 罪のソクラテス的定義。
第三章 罪は消極性ではなしに積極性であるということ。
Aの附論 けれどもそれでは罪は或る意味では非常に稀なことにならないであろうか?(倫理)
B、罪の継続。
a、自己の罪にかんして絶望する罪。
b、罪の宥しについて絶望する罪(躓き)。
c、キリスト教を積極的に廃棄し、それを虚偽なりと説く罪。
書いてあることは9割くらい意味がわからなかった。
でも神との関係において自己自身(キリスト教でいう精神(魂))を基礎づけることで自己は確立し、絶望からまぬがれることができるのだといいたいことはなんとなくわかった。
それで絶望とは死に至る病なんだけど、絶望することによって死ぬことすらできなくなる、死にうるという希望さえも失われている、永遠に死を死に続けなければならないということである。終わることのない終局。
ここから逃れるためには、「神の前に」おいて自己自身を基礎づけなければならないという。それ即ち信仰であるともいう。それによってしか人間は救われないらしい。
それから神はひとを個体として見なしていて、個体が神との関係を結ぶことが大切なんだって。
んでもって絶望とは罪らしい。で結局絶望を克服するには、神との関係であり弁証法であるらしい。
あとはよくわからんかった。これらも後ろの解説とかウィキとか哲学辞書を使いながらどうやらこういうことが言いたいらしいというところであるからして、よくわからないわけです。
だって躓きの可能性とか、無限性と有限性とか可能性と必然性とか信仰と対になるのは徳ではなく罪だとか永遠者とか永遠とか弁証法とか弁証法的とか弁証法弁証法弁証法弁証法。
弁証法ってなんだ!!アウフヘーベンってなんだ!?精神ってなんだ?関係ってなんだ??自己ってなんだ??
基本的な用語の意味がわかんね!!ってかキリスト教わかんね!
西洋人の思想ってキリスト教の基本的なことが解ってないときちんとした理解ができないんだな、きっと。だってあいつら良くも悪くもキリスト教の影響を受けて、否どっぷり使って生きてきてるからね。俺たちブッディストは相当勉強しないと理解できないぜ!
ニーチェもキルキルもともに実存主義の祖と言われているのは、個体を現実に位置づけたかららしいんだけど、キルキルは敬虔なクリスチャンだったんだよね。ニーチェは反対にキリスト教は邪教ですとか書いちゃうけど、どちらも人間の実際の存在について考えているところが面白いですねー
ニーチェも興味あるなあ。でも次はいきなり原著読むのはやめよう。もう少し解説書読んでからにしよう。用語が全然理解できないから、よくわかんない。