主君「押込」の構造―近世大名と家臣団 (講談社学術文庫)

主君「押込」の構造―近世大名と家臣団 (講談社学術文庫)

笠谷和比古『主君「押込」の構造』


前々から読みたかったのだが、入試終わったので読んでみた。江戸時代の話で門外漢なのだが、中世ではこういうテーマを主題にしたものが多くないので、否、近世史でもそうだけど燦然と光を放っているように見える。


江戸時代というとお殿様の命令は絶対で、逆らったら即切腹みたいなイメージがあったのだけど、この本では家臣がお殿様を押込めてしまうという慣行を研究対象にしている。


江戸時代の厳格な身分制からすると、ちょっと考えにくい感じもするのだが、幕府も公認していた慣行だというから驚きである。


実際には、放埒・不埒・不行跡が過ぎて家が傾きそうになる暴君・悪主を、お家存続のために家臣団が一致団結して主君を座敷牢に押込めることが、いろいろな大名家で行われていたのである。


押込の発動には、家臣団だけでなく親類の大名の後押しを得たり、時によっては幕府が介入したりと様々な要因が考えられた。家臣団同士の政治闘争に押込めが利用されることもあった。また押込められた主君が再度、主君につくことを「再出勤」というが、そうなった場合、押込めた家臣に対しては恐ろしい復讐劇が待っていた。



こうしたことが可能であった背景には、中世・戦国時代以来の主従関係が挙げられる。


近世の大名家は多かれ少なかれ、戦国時代を生き延び関ヶ原に勝利して、徳川将軍家より知行を与えられたものである。徳川将軍家は、大名家おのおのが武功を立て、それに見合った恩賞として知行を与えていた。


大名家でも同じであり、大名が武功を挙げるためには、家臣の協力が不可欠であり、家老身分や足軽といった身分は、そうした武功によって与えられていることを成立の根拠にしていた。


つまり大名家は統率者たる大名と武功を立てる家臣との相互関係によって成り立っているのである。大名は武功に応じて家臣に恩賞として知行を与え、家臣は与えられた知行を元に装備を調え軍事力を行使するという御恩と奉公という関係であった。こうした関係は、主君と家臣との「契約」でもあった。



そうであるがゆえに、主君は独裁的な権力をふるうこともできなかったし、先祖代々伝えてきた家を主君が壊すのであれば、家臣が押込めて家の存続を図るということも可能だったのである。



とまあ、面白い本でしたよ。著者は中世と近世の違いについても述べていましたが、それも含めてとても参考になる著書でした。