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- 作者: 富野由悠季
- 出版社/メーカー: 角川春樹事務所
- 発売日: 2002/03
- メディア: 文庫
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富野監督が∀を作った後に発表したエッセイ集。
『Vガンダム』を作ってから富野監督は体調を崩して、めまい耳鳴りなどとにかくうつ病手前まで行って、ターンAの五年前(1994年頃)は自殺まで考えたという。それから1998年のブレンパワードでリハビリをして『∀ガンダム』を創ることでクリエイターとしての復帰を果たすことができた。『∀ガンダム』を創ることで、若い人とふれあい、今までのこわばったスタッフとの関係を立て直し、人と人との関わりを通して、新たな作品を創造していく監督の姿勢は何かに悩んでいる人ならきっと参考になると思える書である。
私は『∀ガンダム』がガンダムシリーズの中で最高傑作だと思っているので(否、今まで見たアニメの中で)、その作品がどういう心持ちで創られたのか非常に興味があった。
今までの富野ガンダムはとにかく登場人物皆殺しみたいな雰囲気もあったのに、∀では全然違うテイストになっているし、世界観もまるで違う。なのに、なのに、どうしてこれほどまでにおもしろいのか。不思議だった。
富野監督は本文の中で興味深いことを述べている。以下、意訳。
「ヒゲ・ガンダムはとにかく評判が悪かった。でもこれは最初にガンダムを創ったときと同じ感覚だ」
また繰り返しこう述べている。
「数字は悪かったけど、自分の方向性は間違っていなかったと当時から自信を持って確信していた」
「正攻法でものを創ったときにどのように受け止められるか」
本の中では作品解説というのはほとんどなく、現代社会の富野流分析や思うところ、アニメ業界に対する所感なども織り交ぜられた多様な内容である。やっぱりガンダムを創る人って、ちょっと他の人と違った見方をしてると思う。
最初のところでとても印象的な一節があった。
この後、ぼくは『∀』のテーマを“ただ巡るもの“とシンプルに規定した。
しかし、作品として消化できる自信はなかったのだが、『∀』というコードに行きついてから、過去のものを全否定するが全肯定もする、というところに作劇の根本をおくことができた。
ぼくひとりにかぎっていえば、“巡りめく生”というものを実感できるなら、死の床であっても、おそれることなく死んでいけようと考えられるようになったからだ。
この感覚が、いまの幸せ感につながっている。
ディアナ・ソレルが伝えたかったことであり、地球降下作戦の神髄であり、最終回にロランに余生を看取ることを頼んだ所以である。新訳Zを見ていても同じようなメッセージを感じるような気がする。
昔は、といっても学部生の頃、死ぬことについて強く考えていたことを思いだし、死ぬことについて考えてみようと思った。
なにはともあれ、おもしろいエッセイです。『∀』好きにはとてもおすすめですし、監督大好きな人でもそうでない人でもおすすめです。西城秀樹と富野氏の語り合いも見物でしたね。
それにしても誤植が多いなあ。この本。文庫落ちしたのに。初版だからかな?