二十歳の原点 (新潮文庫)

二十歳の原点 (新潮文庫)

高野悦子二十歳の原点


二十歳の時に読みたかったなあ。


もう俺、今年で25だもん。高校を卒業するときに担任の国語の先生にこの本を読んでみろと言われた記憶があるのだが、私の記憶が確かならば、もう7年も経つんだなあ。


それにしても隔世の感が強い。高校生の時や大学の学部の時ってこういうことを一人で考えて悶々としていたように思う。「孤独とは」とか「社会はどうしてこうもおかしいんだ」とか「恋と愛の違いって何だ」とか「あの子の足触りたい」とか「あの子とHしたい」とか。そういう年頃に読むべきものだった。

社会人を体験してしまったからだろうか?はたまたただ無味乾燥な大人になってしまったからだろうか?思うような感動や涙は全く押し寄せてこなかった。その事実に逆に自分自身の問題を感じる。自己批判!!自己批判!!


でも、自殺する人の考えていることやそれに向かう力って尋常じゃないものを感じる。二十歳になったのに

「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である

こんなこと言ってんだもん。この時は本気で自殺することなんて考えていなかったんだろうけど、ひとりで悩んでひとりで人生に絶望してしまったのだろうか。読んでいるとそんな気がする。


でもこの人も普通の大学生が悩むような愛とか恋とか友情とかそんなものにも思いを巡らせているのを知ってちょっとほっとしたり。ただ闘争闘争と喚いてなくなってしまったのだったらただの危ない人だもんね。


孤独がさみしいことは分かっているのに、孤独であることを強く否定しない。むしろ孤独であろうとするその姿勢。



今でも闘争闘争と言ってるやつらがいるけど、そいつらって何考えてんだろう?俺も昔そんな組織に不本意ながら属していたこともあったけど、やつらは本気で思想信条を信じてやっていたのだろうか?そうも見えたしそうも見えなかったけど。


そういう奴らに限ってテストができないのはなんでだろうか?インテリゲンチャ気取ってたくせに。要領も悪いようにしか思えなかったし、自分たちの主張を無理やり押し通そうとしていた。本気で学問に向き合ってそれを修めようとしていたようにも見えなかった。


最後の詩と最後のひとつ前の詩はとてもいいもののように思います。あまり詩は好きではありませんが。詩はなんか文章のリズムがないように思われ、しかも、歯が浮く。




俺は今日、何を書いているのだろうか?わけがわからない。



文章が案外きれいだった。意外と難しい言葉を使って書いている。