荒木飛呂彦スティール・ボール・ラン』ジャイロのモデルになった人の本です。


フランスには代々死刑執行を職能とする一族がいて、その一族の四代目、シャルル‐アンリ・サンソンの物語です。シャルル‐アンリの伝記であり、シャルル‐アンリの目を通したフランス革命史でもあり、フランスの身分制史であり、フランスの歴史の物語です。


フランスでは死刑執行人は被差別民として、道行く人々から畏怖と恐怖と汚辱としての扱いを受けてきました。もちろん街での買い物もろくにできないのですが生活はかなり裕福で、国家から様々な面で保障を受けていたようです。


死刑執行人は人殺しを合法的に行うことが仕事です。国王より死刑執行の委任を受けて、死刑を執行するのですが、当然昔は絞首刑、斬首刑、車裂きの刑、八裂きの刑を人が執行します。特に多かったのは絞首刑、斬首刑だったようです。


死刑は死ぬ人に対しても非常に尊厳を求められる難しい仕事でした。死刑に失敗するだけで執行人は野次を飛ばされ、時にはボコボコにされたり、殺されたりしました。サンソンは確実に死刑執行するために武芸を身につけ精神修養をし身体も鍛えていました。


また「自分が人を殺す」ということに対して、自分自身の中で正当化しないといけません。おとなしく殺されてくれればいいですが、まだまだ幼い子供、美しい娘、ヨボヨボの爺さんを時には必要以上に痛めつけてから殺さなくてはなりません。阿鼻叫喚の地獄が展開されるわけです。人を殺しているからといっていつまでもなれるわけではありません。これを正当化するために高い教養も必要で、実際にシャルル‐アンリは敬虔なカトリックでした。

また死刑執行人は、人間の身体にも精通していて副業で医者をやっていました。やはりどこをどのようにすると人は死ぬかを知っている人たちですから、生かすことにも長けていたようです。同時に殺すだけでなく生かすことで本人たちの心のバランスを取っていたものと思われます。

ここいらがツェペリ一族のモチーフになっているようです、サンソン一家はさすがにシルシシルシルシルと鉄球を使いこなす能力は持っていませんでしたが。鉄球を使えればもっと楽に死刑執行ができたかもしれません。鉄球を使って人をおとなしくさせたり、腕を捻って後ろでに縛ったりいろいろ使い道はあります。


そして国王に対する尊敬の念も人一倍深かったようです。そのシャルル‐アンリがフランス革命後、国王をその手で処刑することになろうとは!

18世紀末のフランスは絶対王政の極みでした。当時の治世はルイ16世、妻は有名なマリー・アントワネットです。パンが無いのならお菓子を食べなさいといった人です。

当時は身分制社会で、王様の子は王様、死刑執行人の子は死刑執行人と決まっていました(日本でも一緒ですけど)。また人口の98%は生産階級で、生産物はほとんど年貢に吸い取られ、残りの2%の貴族、僧侶に搾取されていました。貴族は働かなくても年貢が徴収されてきて、酒池肉林の騒ぎをしていたわけです。


やっぱりそんな社会はおかしいという人たちが増えてきていた時代でした。そんななかでフランス革命が起きて、王朝は倒れて共和制になり、恐怖政治が始まります。


サンソンもそんな社会はおかしいと思っていました。革命後は確かに周囲の自分を見る目も変わってきていました。だけど、国王陛下は犯罪者ではないと強く思っていたのも事実です。


しかしそこは死刑執行人のサンソン。国から命令が出れば執行しなければなりません。



サンソンは絶望に打ちひしがれながらも、ついにその手でルイ16世を殺しました。革命後はカトリック禁止令が出ており、カトリック行事をするだけで厳罰、時には死刑なんてこともあったそうですが、サンソンはルイ16世の命日には必ずカトリックのミサを行っていました。



革命前はあれほど死刑執行人一族を嫌っていた往来の人々が、革命の最中には、革命反対派を処刑するサンソン一族を英雄に近い意識で見ていたそうです。人々のものの見方がサンソンの目を通すと非常によくわかります。サンソンの孫、6代目アンリ‐クレマン・サンソン『サンソン家回想録』というものを遺しており、それを見ることによって当時の様子がよくわかるそうです。


この本は、死刑制度の是非だけでなく、身分制、差別、死、命、いろいろと考えさせられる本です。伝記調なので読みやすさもあります。実際それなりに売れているみたいです。


ジョジョファンであることから読みましたが、そうでなくても十分楽しめる本です。人を殺すことはどういうことか、考えてみたい人、是非ともオススメです。