今日は、休み。

わりとゆっくり出来たように思う。ちょっと出かけたが、基本的には家で本や論文を読んだりしていた。


やはり論文を読むのは楽しい。とてもよい気分転換になるし、これこそがやりたいことと思える瞬間である。


もう仕事が始まって丁度二ヶ月が過ぎようとしているが、今もって全く日本史への未練が捨てられない。むしろその熱が前より高まっているように思える。


横で妻が、いつも日本史の話題をし、論文を読み、レジュメを作る。時代が合わないせいもあるが、何を言っているのかよくわからない。しんどいしんどいといいつつも、一所懸命にレジュメを作ってあれこれ考えている。いつも遅くまで勉強したいみたいで、帰宅が遅いほうがいいのかもしれない。


そんな妻を見ていると、正直うらやましくなるときがある。しんどいしんどい言いながらも、充実しているように見える。話したいような知識欲が次々とあふれてくるようだ。


果たして、私はそんな姿勢で仕事をしているのだろうか?この二ヶ月、必死で着いてきたものの、本当に「着いてきた」だけなのではないか。


なにしろいまだ仕事の面白さや楽しさがほとんど味わえないでいる。そう簡単に味わえないものではあるだろうが、もっと楽しくてもよいと思う。というよりもっと意欲を持って取り組んでもよい。


どうして思うように仕事へのモチベーションがあがらないのだろうか?もっと高い志を持って仕事に臨めば、もっと楽しいはずである。もっと知識を吸収して、心地よいはずである。ついしんどくって怠けてしまう。


仕事場ではどう思われているんだろうか?どう評価されているんだろうか?どうしたら楽しく話せるようになるんだろうか?


そんなことばかり考えて、気疲れしてしまう。そんなことばかり。


同期のある人が言っていた。「もう嫌われてもいいや。もっと言いたいことを言って、すっきりしていこうじゃないか」と。


そんなふうに成れたら楽なんだろうと思う。もっと素直な自分でいられるんだと思う。疲れてしまうのは、きっとそんな風に素直でいられないからなんだと思う。


自分の気持ちに正直に。


そういうのはとても簡単だ。でもやるとなると難しい。そんなに簡単に人は変われない。人はそんなに上手く出来ていない。第一正直になるなら、私は会社を辞めて、大学院に行きたいと言い出すだろう。


だけど、それはじっと我慢しなければならない。もう一人に人に、夢を託した形になっているんだから。それを選んだのは自分なんだし、選んだことをやらなくはいけない。


やりたい自分となりたい自分。


やりたいこととやらなければならないこと。


成りたい自分と成らなければならない自分。


それが二ヶ月も経っているのに、交錯している今。



いつまで続くのだろう。この螺旋は。早く抜け出したい。早く楽になりたい。早く仕事を楽しめるようになりたい。そうでないと、つらすぎる。そうでないといつかパンクしてしまう。



暗中模索は続く。