昨日は世帯主の大学院試験であった。お疲れ様でした。


そんでお祝いということですき焼き!!!を頂いた。


うまい!!うますぎる!!肉が!!!



お疲れ会ということで結構いいお肉を用意したのです。いやーうまかった。



で、お肉を食べているときにふと思ってしまった。このお肉は牛の肉なんだなあと。


この牛肉を食べるためには、牛を殺さないといけないんだなと。ふと思ってしまったのです。この肉になってしまった牛は、殺されるために生まれてくるのです。


その牛を育てている方々もいわば牛を殺すために育てているわけです。豚だって鳥だって魚だって野菜だって米だって、その生命を奪って人間が獲得するために生きている。


中学の理科の先生は、牛を殺すのに頭をでかいハンマーで叩いて殺すのだといっていました。豚は電流が流れる床に押し込めて電気を流すそうです。鳥は首を斬って殺して、そのままでは生臭いから逆さにつるして血を抜くそうです。


人間はそれらを殺さないと生きていけないという真理。


我々人間は一方的な殺戮の螺旋から降りることはできないのです。殺して殺して殺しまくって生きている。人間同士も。


殺すためには殺す人がいるわけで、その人たちがいるおかげで我々は生きていけるのです。スーパーでパックされている肉も、殺す人がいてパックする人がいてあのようにして出てくる。殺して出来た肉を調理をして、始めて人は食事にありつける。その連鎖の上になりたっているのです。


人は一人では生きていけないという真実。


なぜかそんな究極のところまで思い至ってしまいました。すべて連鎖と螺旋の上に成り立っている。人と人、人と動物、人と植物。


だからご飯を頂くときは心の底から手を合わせて、命を生み育てて奪い調理したことに感謝して頂こうと決意した次第です。将来生まれてくる子供にはそういうことを教えようと決意した次第です。それがわからないような人にはしたくありません。