一度書いた文章が消えた!!!!クソ!!


〈変態〉の時代 講談社現代新書

〈変態〉の時代 講談社現代新書


知的好奇心をくすぐられる、良書でした。

先に感想を書いておきます。内容は後述。


著者の菅野氏は日本政治思想史が専門で、変態をキーワードに大正期から現代までの性と知的状況を探ろうというのが本書の目的です。


分析の方法も歴史学の方法に則っています。大正6年に刊行された中村古峡編『変態心理』*1大正11年に刊行された田中香涯編『変態性欲』*2といった雑誌を史料として、当時の人々の変態に対する観念を探っていきます。


歴史学の方法に則っているので、私は読みやすく理解しやすい内容でした。


驚いたのは、後述するように、

  • 変態=変態性欲ではない(変態のなかに性欲が含まれ、それ以外も変態に入る。後述)
  • 変態という概念が大正期に一般化したこと
  • 変態性欲のうち、どの変態性欲を蔑視するのかという観念は国家の方針やその時々の知識人、大衆によって形成されること(形成というには語弊がありますが、適当な表現が見つかりません)

今こそオナニーはなんでもないことですが、大正期には恐怖のマスターベーションとして認識されており、言語道断の次第でしたから。


変態性欲は犯罪に繋がったり、非生産的であることから弾圧や白眼視の対象とされてきました。自由を謳歌している現在でさえ、白眼視する人は絶えません。


かねがね思っていたことですが、誰だって性欲は持ってていろんなバリエーションがあるのに、なんで一部だけ白眼視されたりするんだろう?と。


これだけ個人主義!!と世は謳いながら、ロリコンや同性愛者の方々にはいまだ蔑視が抜けきっていません。これって社会システムとしての矛盾じゃないでしょうかね?


犯罪や他人に迷惑を掛けない(受け取る側の心理が作用するからなにが迷惑でないとはいえない)かぎり、好きにやってていいと思うんですよ。


人心の乱れる基となる考え方も、なにが正常なのか、それをきちんとできない限り判断できないと思います。


性欲と人間は切っても切り離せない関係にあるんですから、正面から向き合ったっていいじゃないかと思うわけです。この本を読んで、ますますそう思いました。


でも人はわかりあえないんですよね。何千年と続けてきてるんだから、人類がみんなニュータイプにならんかぎりかなり難しい。


文学部生として恥ずかしくない知識を、「少し」蓄えたかなとも思いました。まだまだ精進精進。



以下、長いですが忘備のためにも内容を要約しようと思います。


本書を読んで驚いたのが「変態」という言葉は、明治後半に使われ始め、大正期に一般化したということです。また「変態」は「えっち!」の性的異常を意味するのではなく「普通でない状態」を意味するものとして使用され始めたということでした。


意外に新しい概念なんですね。「恋愛」が明治期の輸入であると同時に「変態」も明治後半から使用され始めたんですね。もっとも前近代には同性愛も自慰行為も露出狂もあったんでしょうけど。


大正期には変態という概念が一般化します。それには大正デモクラシーで花咲いた大衆の力が大きく作用していました。菅野氏は上記雑誌などが講読された理由として、当時の性教育、性のメディアの未発達を挙げています。


人には聞けないことを雑誌を読むことで知ることが出来る。しかも変態だ。変態はすごいことをしている。俺はこんなんじゃないぞ!!と面白おかしく自分をノーマルだと認識できる社会的装置としての役割を果たしたと、菅野氏は指摘しています。


ここで少し当時の「変態」について述べておくと、性同一性障害や自慰行為など現在では変態と見なされないものから同性愛やロリコン、下着ドロ、露出狂、果ては強姦、痴漢など犯罪行為も変態という範疇に含まれていたようです*3


とすると、同時に変態性欲は抑圧の対象にもなってきます。上記の変態雑誌も幾度も当局より発禁にあい、また優性生殖思想など思想方面からも弾圧を受けました。


国家より弾圧を受けた理由として菅野氏は、変態性欲というのは「異常」を目指すからだと述べられています。


国家にとって国民はある程度均一な存在のほうが支配しやすい。そんななかで変態性欲の持ち主は際立ってしまう。それはいかにもまずい。また変態性欲は快楽を追求し、種の保存には反対するのではないかという考え方があったのではないかということです。


やがて昭和の戦時下に入るとほとんどの変態雑誌は廃刊に追い込まれたそうです。


これはつまり、国家による個人の性生活の統制という状態を招いたということです。正常な性というのは子作りのための異性による結婚生活のみという状態になったのです*4


オナニーすらダメなんですから、悶々とする思春期の男子の苦悩が偲ばれます。また結婚できない男女に対する世間の目も厳しかったに違いありません。


戦後、庶民は自由を手に入れ、現在はその延長にあるわけですが、菅野氏は現在のほうが変態に対する蔑視は鋭いのではないかと結んでいます。


ノーマルな性生活が安易に手に入る分、少しでもアブ・ノーマルな部分は対岸の火事として「共感不能な断絶意識に基づく、無責任な好奇心があるだけ」という冷たい社会になっているのでは、と最後に述べています。


現代の分析はいまいちでしたけど、変態概論としては十分一読に耐える内容を有している新書だなあと思います。変態概論というより、日本近現代思想史の一端といったほうが正確かも。


変態小話なんかもボチボチ入っているので、そういう意味でも楽しいかもしれません。

*1:この雑誌は、変態心理学という学問を提唱するべく刊行されました。性問題だけでなく精神病者知的障害者、犯罪者、天才、偉人などを変態心理の持ち主としています。善悪関係なく「異常な精神現象を科学的に研究する学問」を志しています。

*2:こちらは『変態性欲』から分派して出来た雑誌です。変態性欲のみならず、性生活一般・生殖器官・性病・性犯罪・性風俗など多岐にわたる論考を集め、学術的に研究するという態度をとっていました。また時代風俗考証についても論考を集め、民俗学とも深く関わっていました。柳田國男が取り上げなかった、性の民俗学を本雑誌では研究の対象としていたようです。

*3:自慰行為は当時は精力減退などいろいろな理由で恐怖の行いとして認識されていたようです。今では公然と行われ、アダルトビデオ業界はとても繁昌していますが、当時の感覚からしたらきっと考えられない猥褻さだったことでしょう

*4:同時に劣性遺伝者、つまりハンセン病者や精神病者に対する差別を助長させる結果にもなったそうです。劣勢の遺伝子は必要ないという選民思想が一般化していたことを予測させます。