私の「戦争論」 (ちくま文庫)

 世帯主が借りてきて、興味関心がわいたので読んでみました。ちくま文庫です。


 一言感想いうと、論旨明解にして切り口鋭し!

 中身は吉本氏が小林よしのり戦争論』批判、「つくる会」批判、保守派思想批判、自身の戦争体験、どう戦争を克服するかといった章立て。


 章立てだけ見ると、「ただの左翼だべ」ってことになっちまうんだけど、これが割りと独自の立場をとってるんですね。

 まず、戦後左翼が絶対に言わない、自分は戦時中軍国青年だったということを堂々と告白。そして自分も含め戦後左翼がウソから出発したことをあっさりと言い切ってしまいます。

 戦後左翼は戦時中は戦争賛美してたくせに、敗戦後コロッと転向しちまう。なんだったんだよ、おめえら!というわけです。


 これは画期的なことだと思います。小林よしのりも同様のことを言っていますが、保守・進歩と立脚点が違いますから。他にも、共産党はエリート意識の塊だから、農村に入っていって革命の支援をするなんてことを言う、でもそれは所詮キレイ事に過ぎないんだと。

 そしてやっぱり一歴史学々徒として注目すべきは

歴史というのはどんどん動く、変わるものなんです。経済構造も文化構造も、そして大衆の感覚も、時代とともに変わっていく。それは歴史が証明していることです。だから現状を固定的に考えるというのは間違いなんです。

                                 P140より引用

 という発言ですね。これは保守派思想に対する批判なんですが、保守の欠点を上手く突いています。当たり前といえば当たり前なんですが…


 歴史学を学んでいる人なら、歴史は変化するというのは当たり前のことです。新しい史料の読み方、新史料の発見(ほとんどないけど)、隣接諸科学(考古学など)との総合的な成果等などによって、新たな事実が姿を現すことがあります。また社会情勢の影響を受け、論者の問題意識の変化に対応して、目指すべき歴史像も変化します。

 もっとも現在の歴史学マルクス主義の崩壊によって、混迷を極めているという向きも存在します(小田中直樹歴史学ってなんだ?』PHP新書2004)。ちなみに私はそう思います。

 話が横道にそれてしまいましたが、歴史は(歴史像と言うほうが適切かもしれません)変化するというのは当然なんですが、保守の人はそれを固定的に考えているというのは的を得ています。

 私はやっぱり日本という国が好きですし、日本人であることに誇りを持っています。

 こういう言説は保守的と受け取られるのでしょうが、私自身、上述の矛盾には頭を悩ませていました。

 吉本氏はまた、西部邁氏に対して「「日本の伝統」とか、「日本人の伝統」といっても、西部邁がいっているのは、せいぜい奈良朝以降のことでもってそういってるだけのことでしょう。」と批判しています。

 これはこれで的を得ていて、日本には縄文時代から人が住んでるんだからそれをちゃんと評価しないといけないと吉本氏は述べています。他にもたくさんの示唆的なことを述べています(国民国家の問題、天皇制の問題など)。


 私自身は、歴史像と歴史的事実は固定的なものでなく、変化していくものだと思います。ただ変化というのは小田中氏が指摘しているように、人々のコミュニケーションによってより確からしいもの(この「確からしさ」もなにを基準とするかで変化するが)へと変化していくものだと思いたいですし、そうでなくてはいけません。


 そうして得られた歴史像・歴史的事実を踏まえたうえで、日本人として誇りを持って生きていきたいと思いますね。なお個別問題を論じる力量は持ち合わせていないのでなしです。